昭和48年10月14日 特別奉修委員



  (途中から)
 あのやってましたが、珊瑚礁に着く、あの鬼人手というのが、この頃はびこって珊瑚礁が、みんな食い荒らされて、枯れてしまってると言う、ニュースを見せて貰ったんですけれども。その大体は、あの珊瑚礁に、鬼人手も無からなければいけないんだそうですね。唯バランスが壊れている。唯鬼人手が少し多くなり過ぎた訳なんです。珊瑚礁はあの、鬼人手から何か吸収しなければならない物があり、また鬼人手も珊瑚礁から、あの分けて貰わなければならない物があってね。
 けどもその最近では、その鬼人手が大変増えた。所謂バランスが崩れてその、そういう一つのまぁ、難儀な問題と言う事になってる訳なんです。ですからね一つの難儀な問題。特に人間関係。例えば家庭に不和の無きが元と仰るのに、不和ではないてあの円満でない、不和であると言う事なんかもですね。誰だってですね不和であれば良かがと思うておる者は一人もないです。
 もう本当にもう本当にそれが出来ると言うなら、お互いお礼を言い合い、拝み合うて行けれる、本当に此のそう言う様な家庭なら家庭を願ってるんです。けども何かが狂っている。何かがバランスが崩れている。そこからですねあのそこから思い違いが出来、返って溝が出来不幸になり、返ってますます険悪になって行くと言う様な事に、あのなっておるのですからね。
 問題はそのバランスが崩れておる所を一つ、気付かせて頂いてそこん所を願って行かなければいけない。それにはねもうどうして此の人は解らんじゃろうかと言うたり、思ったりしながら祈ったっておかげになりはしません。その言うたり思ったりしてもし言うたら返ってそれは返って。例えばそれは今日あの椛目の宮崎さんじゃないですけれども、今度記念祭を境に、皆さんが自分の心の願と言うものを、そのお供えしたい。何をお供えしたいかと、色々考えた末にと言うて、今朝お届けされたんですけれども。
 私はもうこうと言い出したら、それを徹底言うて悪い事は分かっておるけれども、言うて仕舞わなければならない物がある。その人の事を思うて言いよっても、結果は悪くなると言うです。ですから、私はもう今度の記念祭を境に、是を一つお供えさせて頂いて、もう言わずに黙って治めれるおかげを頂きたいと言うお届けであったんですけれどもね。ですからあのもう、どうして此の人は解らんじゃろかと言った様な心で、祈ったところでおかげにならんです。
 もう一遍、昨日のあの池田さんのね、あの発表を一つ繰り返して見られると良いですね。例えば何ですか、あそこの下宿をしておられる方達が、食べ物をとても粗末にする。もう食べ残したり粗末にしたりする。まぁそりゃこげな事をしては勿体ないよ。そげな事をしたら罰かぶるよと、それも信心なんですやっぱ。ね。教えてあげるとじゃけん。所がそれでは、決して、言う事聞かなかったと、こう言う。
 けれどももういっちょ上の、豊かな大きな心で、祈らせて頂く様になったら、この頃は、綺麗に頂く様になったと言う事を言っておられましたね。是はもう一事が万事そうです。もう一つ大きくならにゃいかんです。もう一つ豊かな心で思うてやり、祈ってやるとこ迄行かなければ、おかげにならんです。ね。ですから例えば家庭の不和と言った様な事なんかは、もう誰だって今も申します様に、不和である様にと思うたり、願ったりしてる者はありません。けれども何かの何処かの食い違いがそう云う事になる。
 それがまして肉親同士である場合なんかはそうです。もう本当に、仲良うして行きたい。夫婦は仲良うして行きたい。兄妹も仲良うして行きたい、ね。所が相手の何処かに狂いが、いや両方に狂いがあるからなんです、やっぱし。ね。そこに、あのバランスが崩れて来る。そこに例えば、それも無からなければいけないですから、例えばそこに不和が醸されると、例えば言い争いがあると言った様な事でもですね。
 是は一つの、おかげを頂く為の前提だと思うて、それを第三者の人は、大きな豊かな心で、はぁおかげ頂きよると思うて、お礼申し上げるくらいで良いです。まぁどうして嫁が解らんじゃろか。どうして息子が解らんじゃろかと言う様な事では駄目なんです。まぁ一つ大きな心で、是を祈ってやるとです。そこからあの円満な道が付いて来る。もっと有難い道が付いて来る。中に入ってから、自分のほんならこうだ、あぁだと言うて聞かせる。少し高い所から見てると分かるから。
 ほんなら成程お母さんが言う事が、お父さんが言う事が本当だと、例えば思うてもです。実際は解っとるのだけども、夫婦喧嘩しょうごたるけん、しよるとじゃないとじゃから。ね。だからそれをなら見ておる、ほんならもう少し高い所に例えば、肺病なんかで、あの喀血をしたり、怪我をすると血が出ると言った様な事でも、是は一つの、あのおかげのあれは印だそうですね。例えば切ったけれども、血も出らんというなら、そら返っていけないのであって。
 だからその血の出る事、その事自体にお礼を申し上げる様な心がね。こら人間関係の上にでも、要ると言う事ですよ。だからそれはあんた、こん位な事があんた段、どうして解らんのと言うて、ほんなら祈ってやっても、おかげにはならんです。もう一つ豊かな心、もう一つ大きな心で、祈らせて頂ける様になるとね、私も例えば昨日私があの、十三日会のときに申しましたけれど、妹の事を色々聞かせて貰うて、以前の私ならどうして、そういうこつば言うじゃかね。
 こん奴がそげなこつ言うたかち、言う風に言うとこじゃけれども、全然こっちには問題になってない、ね。だからどうも無い訳なんです。ね。けれどもほんなら、そこには悩みを感じておるから、そのどうもない心で祈ってやる所に、それこそ見事におかげになって行くと言う道が開けて来るんです。だから私共の信心が、もう一段豊かに大きくならなければいけないと言う事ですね。
 是は皆さん本当に、私自身もつい最近それを考えた。もうあんたどんがそげな事で、どうしておかげ頂かれるのと思うてお取次ぎしたっちゃ、おかげにならんです。ね。例えばほんなら、ご無礼があろうがお粗末があろうがです、ね。例えばお願いに来とるという、その事だけででもです。ね。あのそういう気持ちを捨てて、お取次ぎさせて頂く所に、おかげ頂く道が開けて来るです。
 是はもう本当にあのおかげと言うものは、微妙なもんだなと、ね。言うならば、どうしてこん位なこつが分からんのと言う事は、もうすでに責めておる事ですからね。そしてほんならどうぞ、おかげ頂く様にとお願いしたっちゃ、おかげになるはずがない。だから責めるとじゃない。もういっちょ豊かな大きな心になって、お礼を申し上げる様な心になって、言うならば自戒作用があってるんだ、健康になる事の為に。例えば血を吐いても、それは健康に、病気を壊して行く働きがありよるとだ。ね。
 それを、血が出たと言うて驚いたり、あわてたりするから、かえって行けないんだという訳なんです、だから是はねほんなら、人間関係の上においてもですね。此処ん所を一つ、あのもう一段大きゅうならにゃいけないと言う事です。ね。その事が心配になる。ならその心配する心で信心をさせて頂いて、もちっと豊かな心になって、その問題に取り組むと有難いですね。
   どうぞ。